
![]()
祝!金平劇場出版記念企画!
![]() |
月刊ビーム連載 「金平劇場」 定価620+消費税 全国の大きめの書店で |
勝手な告知
|
この予告は作者の方から「触れないでくれ」と散々メールで言われてきたことなのだが、勝手に告知させてもらう。だから作者の金平は見ないで欲しい。 アイツとは小六以来の付き合いになる。それこそガキの取っ組み合いのケンカからした仲だ。私は小学校1年の頃から「将来の夢はマンガ家になる」事であった。 マンガ家志望の子供がよくするように「石森正太郎のマンガ家入門」なぞを買ってGペンやスクリーントーンを揃えたりして今思えば既成作家の完全な模倣作なのだが当時はオリジナルを気取ってマンガ書きに励んでいた。 小六の頃アイツは転校してきた。 クラスは別であったが「どうやらマンガが上手いらしい」という噂が聞こえてきた。 「俺より上手いのか?」 そう思っていた矢先にアイツは同じ”マンガ倶楽部”に入ってきた。 そしてアイツの原稿を見た瞬間「スゴイ」と心底思ったのだ。エンピツ書きではあったがエンピツで影を効果的に使った小六とは思えないストーリーマンガ(ガンダム風)であった。 いつの頃からか2人は急速に接近した。そういえば初対面の時の事忘れているなぁ。 逆にアイツはアイツで俺のマンガを見て「小学生なのにペンで原稿を書いている。」と驚愕したらしい事を後から知ったのだが、お互いなにがしかの影響はあったようだ。 それから中学校に進み、そこでもマンガ書きに明け暮れた。 2人で発行するお互いがそれぞれコーナーを持ちクラスメートを笑わせるのに必死になった学級新聞などはカワイイ競争であった。マンガの同人誌も発行した。 「少年ごっくん」 という雑誌名が当時の貧しい語学レベルを物語っていよう。 2年に進級するとき担任が我々を呼んだ。そして、 「お前らは勉強もロクにせずイタズラも多かったが、新聞だけは良かった。唯一褒められることだ。」 と言ったのだ。これがどれだけ嬉しかったことか。 そうしてお互いの家を行き来し、間にファミコンブームが入り機械を持っている子の家に2人して入り浸りになったこともあったが、基本はいつでもマンガ創作であった。 そうして高校。同じ学校に進んだ。2人のマンガ熱は更に加速した。他校でコピー誌が発行されている!という噂を聴き同人誌づくりに夢中になった。 高校3年にもなると2人の学力は悲惨なものであった。 学校へ行くフリをして途中Uターンをして当時パートに出ていたお袋が出ていくのを確認すると、合鍵で家に入り2人でマンガ書きに熱中したものだった。 3学期アイツが赤点で学校から呼び出された時、アイツのお袋さんは登校日数の少ないことを初めて知ったようであった。その時はかなり恨まれた。出入り禁止寸前であった。しかしなんとか卒業でき、アイツのお袋さんも 「学校を出たら熱も冷めるか。」 と思っていたようだが我々は全く逆で、更にマンガ熱に冒されて行ったのである。 そんな時部屋で鳴っていたのは、いつも佐野元春の”ノーダメージ”だった。 そうして私は就職。アイツは美術の専門学校に進みマン研に所属し機関誌に作品を発表し続けた。 私も就職したのはしたが、やはりマンガ熱冷めやらず、アイツの学校の機関誌に作品の発表の場を提供してもらい、一緒になって創作に没頭した。 幸せな時間であったと思う。 本気で書く者と余技で書く者のレベルは次第に差がつき、アイツの画力は専門学校時代で格段に成長した。その時のマン研の部長がリンク先の”大久保屋”であり、マンガ仲間が集まって討論をしたカセットテープを今管理しているのがプレイガールの提供者、プロマンガ家の塩屋舞子氏なのである。 学校を出て就職したアイツはサラリーマンで生きていくのが心底辛そうであった。 毎晩ウチに立ち寄り深夜までマンガ談義を交わした。そういう状態は1年も続かなかっただろう。 ある日アイツは上京を決意する。 プロのマンガ家を目指し、サラリーを辞めてアシスタントになると言うのだ。 それを聞いた私は複雑な心境であった。10年来の親友が東京に行ってしまう。まだいくらか器用に社会人としてやっていた俺とは違い、アイツは心底からのマンガ人間だったのだ。 決心は固いものだった。大げさな話ではなく、何年間もほとんど毎日会っていたのだ。 正直寂しかった。しかしここで寂しい顔を見せてはいけない。逆に励まさなくてはいけないハズだ。 アイツは朝6時30分の”ひかり”で行くことが決まった。 朝、アイツの家に行く。オヤジさんとお袋さんと4人で駅に向かった。 私はその時からもうダメで、多分、無意味にはしゃいで大声で笑いをとっていたことだと思う。 アイツとはあまり話さなかったハズだ。 そうして駅のホーム。もう耐えられなかった。声は震えていた。 「電話があるもんな。」 が精一杯の会話だった。アイツはボストンバックを持って表情も穏やかだ。 東京行きに青春の全てをブツける自信が伝わってきた。アナウンスが鳴り遠く響く。遠くに新幹線の影が見える。その瞬間涙が出てしまった。一度出たら涙なんて止まるもんじゃない。 アイツは右手を差し出した。泣きながら握手する俺。 「盆、正月には帰ってこいよな」 鼻水をすすりながら交わす別れの言葉。アイツは持て余しているらしく笑顔で 「オウ」 と言った。 あんまりアイツの泣いた所は見たことがないが、アイツにも小さいものが光っていた。新幹線の戸がしまる。そうしてゆっくり動きだす。見送る方が絶対に寂しい。 アイツは夢に向かって進んだ。 私は結婚を選んだ。 私はいつまでも手を振った。アイツの両親がエスカレーターで降りていってしまっても、まだ一人で手を振っていた。 あれから何年が過ぎたんだろう。 お互い遠くに離れたが、アイツは月刊誌に定期的に作品を発表し続けたし、私もモノ創りが心底好きらしく、インターネットと出会った瞬間にのめり込んでしまった。 アイツもマンガで人を喜ばせるのが好きで、私も立ち上げ時は 「10万人にアクセスしてもらえる楽しいページを創る」 が大それた目標であった。 お互いアプローチは違ってしまったが、でも根っこは一緒だった。そうして今回の金平守人の初の単行本。何か感慨深いものがある。 アイツはひねくれ者で巻末にワザと苦情のハガキだけを並べてコーナーにしてしまっているが、私から言わせればアイツほど真っ向からネタに取り組む作家もいない。 読者サービスでカワイイ女の子のパンチラやスケベなストーリー展開で安直に読者投票の上位に食い込む作家に比べたら、彼のスタイルは時代には合っていないかもしれないが尊敬に値する。 アイツもカワイイ女の子を描くが、それはネタ的に”あえて”やっている事であり、それを飯の種にしていない所が良い。 「もう思い出したくもないから話題に絶対すんなよ」 とメールを送ってきたが、正直、どれも面白いぞ。全部俺の心の中に入ってきた。こんな事を言ったらオマエは大笑いするだろうが、 「まるで俺のために描いてくれた」ような作品集だったぞ。 だからここで宣伝させてもらう。今はイイものと売れるものは別だ。バンドも化粧しなきゃ売れない時代みたいだし、曲だって番組タイアップのものがヒットチャートを賑わしがちだ。 メディアがある程度売れるモノを操作をしている時代だ。 そんな時代の中で、起伏のあるストーリー展開や読者へのサービスカットをことごとく無視したオマエの作品はベストセラーにはならないだろう。 しかしこの単行本を読んだら読者は、きっとオマエの作品の創作姿勢に共感してくれるものと信じている。短編作家で、毎回趣向を凝らすそのスタイルは大げさな話ではなく、 俺は「江口ひさし」の再来だとさえ思う。 とにかく心からおめでとう。ここまで長かったよな。 マンガ好きの読者の手に一人でも多く届く事を祈って。 P.S オビに俺の名前でてるよ。 |
完
![]()