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トラウマを植え付けたヒロイン達
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ルパン3世のフィンガーポップの話題が案外好評であったので、調子に乗ってルパンの思い出をとっかかりにしてエッセイもどきを書いてみようと思う。 私にとってルパンとは”峰不二子”である。 この一点に尽きると言っても過言ではない。 私の”巨乳好き”はおそらく幼児期にテレビで見た「ルパン3世」の第一話がトラウマになっていると思われる。 さんご存知の通り峰不二子はバストが確か99cmのナイスバディだ。しかし所詮はアニメのキャラクター。普通なら番組が終われば記憶から消えてしまうはかない存在だ。 ではなぜ幼児期の私は峰不二子によって強烈なトラウマを持つに至ったのか? それは第1話を見て貰えればわかるのだが、第1話で峰不二子は敵の手に捕まり手術台のような所で仰向け大の字に寝かされて両手両足を縛られてしまうのだ。 これだけでも子供にとっては許容量をはるかに越える刺激的な絵だ。 しかし縛られるだけならアニメに限らずとも、特撮ではお約束であり、別に珍しい事ではない。ウルトラマン80でも石田えりが縛られたし、変身忍者あらしでも林寛子は木に縛られた。 他の番組とルパンの第1話が決定的に違うのは峰不二子は ”くすぐられた” という事実だ。 上の縛られた峰不二子のわきから無数の機械の手が出現し不二子の全身を容赦なく猛烈にくすぐるのだ。これは他の番組では絶対にない展開であり、くすぐりフェチ垂涎のストーリー展開である。 ”非情なる機械の手” ”揺れ動く不二子の豊満なバスト” ”よじれる艶めかしい姿態” 確かにルパン3世は当初子供番組ではなくターゲットはアダルト層であった。それにしたってアニメだ。アニメなら子供だって見るだろう。 何の予備知識もなくいきなり飛び込んでくる、サブリミナルエロチックパワー全開の第1話。 俺の股間はエレクトリッガー(byレッドバロン) であった。 5歳の子供でも「いけないものを見ているのでは?」と思いつつも目は画面にくぎ付けだ。それ以来自分が、揺れるたわわの巨乳の虜となろうとは、この時は考えもしなかった。 以前、弟とレンタルビデオ屋に行った時 「久々にアニメでも見るか!おっ、ルパンだ。」 と2人でアニメコーナーで立ち止まった時、弟は偶然を装って旧ルパンの第1話を白々しく手にとったのだが、 「弟よ。お前もか。」 と思わずにはいられなかった。 こういったサブリミナルエロチックパワーの功罪は、思い出せば結構ある。 アニメでの最高峰は峰不二子。ある友人は”メルモちゃん”の変身シーンで欲情してしまう不届き者も居るが、私のベストは”峰不二子”にトドメをさす。 では特撮番組となると一体なにか? ありふれた意見になるが、ベストはやはりウルトラセブンのアンヌ隊員か? 私は高価な「アンヌ写真集」を持っているくらいのファンだ。しかしアンヌに関しては、既にあらゆるメディアでほぼ語り尽くされた感があるので、今更私がコメントすることもなかろう。 私がコメントするべきヒロインは、ナンバー2の”ビジンダー”(志保美悦子)だ。 ビジンダーとはキカイダー01に登場するキャラクターで、アンドロイドだ。 キカイダーの体内に不完全な良心回路があって弱点になっているように、ビジンダーは体内にものすごい爆弾が内蔵されている。そんじょそこいらのダイナマイトとは格が違う、爆発すればシャレにならないほどの破壊力を持つ爆弾らしいのだ。 そいでもってそのスイッチに当たるのが人間時のビジンダーのシャツの確か第3ボタンなのだ。 どういう設定でビジンダーが苦しむのか忘れたが、なんせいつも胸が苦しくなり訳のわかっていないゼロワンが 「どうした?胸が痛むのか?」 などと言いながら、あろうことか当時可憐なる志保美悦子を抱きかかえ、どう真面目に演技しようともその手付きはいやらしく、ボタンを一つ二つゆっくりと容赦なく開けていく様は、秘密の花園を遠慮もなく蹂躙していく大人の世界であり、なんで胸が苦しいだけでとりあえず服を脱がしてしまうのかゼロワンの行動もイマイチ理解に苦しむが、ボタンの二つ目が外され、アンドロイドでも下着らしきものが覗き、 子供が決して見てはいけない若くてピチピチした生肌が次第にあらわになる。 俺の股間はマッハトリガー(BYマッハバロン※意味不明) であった。 ボタンを外す手がクローズアップされ、画面には爆発した悲惨なイメージがオーバーラップする。 ボタンを外してしまった後の爆弾の爆発(ばくはつ)と、シャツを脱がせた後の男の暴発(ぼうはつ)とを、もしかして引っ掛けているのではないか? などと不必要に勘繰ってしまう私の精神は、やはり病んでいるのであろうか? であるからして現在でも私は青いジージャンにジーンズのホットパンツ姿の女性を見ると、無条件降伏のポツダム宣言状態とでも言おうか、パブロフの犬の条件反射とも言うべきか、ビジンダーのあの可憐な生肌が脳裏をかすめて欲情してしまうのだ。 これは闘牛が赤い布をみて興奮することと同質な逆らえない反応であり、 他人からとやかく言われる筋合いはないハズである。 「三つ子の魂百まで」とは昔の人も良く言ったものだ。 子供の頃親から「テレビばっかり見てないで勉強しろ!」 などと、よく怒られたものだが、当時は「テレビのどこが悪いんだ!」と反抗していた。 しかし子供の視点でもいやらしい視点はちゃっかり存在していたのだ。 自分が親になった今、これらのことは自分の人生を反面教師として教訓にしていかねば何も浮かばれまい。(何がだ) |
完
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