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修業
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私は昭和44年生まれだ。 この年代に近い世代の男子なら一度はジャッキーチェンの拳法ムービーに心ときめかせたのではないだろうか? 私より上の世代になると”ブルース・リー”になるのだが、私はブルース・リーはかたすぎて馴染めない所があった。 やはり拳法に蛇の動きや酔った動きを取り入れるジャッキーのコンセプチュアルな拳法シリーズに強い魅力を感じた。 ブルース・リーは最初からべらぼうに強く、ジャッキーはそこそこ強いのだが、敵に一度負けたりして再び師匠のもとで修業をしたあと勝利するという、スポコンの要素が共感を生んだのかもしれない。 もうジャッキーブームは全国区で、あの有名なテキスト王の”工藤さん”もエッセイで取り上げたことがあったと思うのだが、当時どこの学校でも休み時間の修業や自分のオリジナルな拳法の開発(バッタ拳・クモ拳など)は日常茶飯事であったようだ。 そのジャッキーブームに便乗するようにテレビや映画では中国四千年の歴史ともいうべき拳法映画が数多く上陸した。 98年8月現在、英会話教室のCMで鎖を腕につけられ「ヨクデキマシタ」と修業するコマーシャルがあるが(このCMは自分に学習効果がないのか?と思うくらい何度みてもツボにハマって爆笑してしまう。)ジャッキー映画にも過酷な修業シーンが数多くあり我々を熱くさせた。 しかし ジャッキーのコミカルなムードではなく当時の我々に”修業”という観念を根底から覆す作品が上陸した。 それは本物の映画”少林寺”である。 少林寺に集う修行僧が毎日の鍛練によって床がへこんでいるシーンは余りにも有名だ。 単純な中学生にとっては、この1カットで充分であった。 「週末、寺に集合!」は当然の成り行きであった。 中学の時の友人”竹中くん”の存在は、私にとって大きいものがあった。 彼は本物を目指した。毎日修業を欠かさず、夏休みになるころには彼の腹筋は中1にもかかわらず ものスゴイことになっていた! 彼は休み時間になると教室の後ろに行って学生服とカッター・シャツを脱ぎ自慢の腹筋をみんなに見せたあと必ず 「思いっきり殴ってみろ」 というのが決めゼリフであった。 「本当にいいのか?」 と聞くと 「みぞおちだけは外してくれ」と言った後 「気を入れる」 と言いながら目をとじ精神集中をはじめる。 オーディエンスはしばらく待っているといつ始まるのか待ち切れなくなり 「いいのか?」 と声が飛ぶ。竹中くんは”コクリ”と静かにうなずくだけなのだが、これが最高にカッコよかった。 一人が思いっきり後ろに振りかぶった後、右のストレートを竹中くんの腹にブチこんだ。 一瞬オーディエンスから声が消える。殴った方も心配そうに竹中くんを見る。 2.3秒後、竹中くんは真っ赤な顔をして微笑むのだ。 沸き上がるオーディエンス。両手をあげる竹中くん。でも多分痛いんだろうと思う。なぜなら次の授業中の竹中くんはずっと下を向いて苦悶の表情を浮かべているからだ。 それでも私は竹中くんを尊敬していた。あれだけ強烈な右ストレートをかわしもせずモロにくらって ”泣かない” のがスゴイと思ったからだ。 彼の「恐怖心をいつでもコントロールしている」という一言は更に私を感動させた。 寺での修業でも十数人のクラスメートは竹中くんを崇拝していた。そこでの修業の思い出は数々あるが、毎回やっていたのは異種格闘試合であった。 蛇拳と酔拳の試合と言えば解りやすいだろう。最初はお互い型を守って組み手をするのだが、 最後にはどちらも極真空手になってしまう のを仲裁したのはいつも竹中くんであった。そういう時は地味な修業に切り替える。 ジャッキー映画で「少林寺木人拳」という作品があるのだが、作中、女の達人が「蛇八歩」という術をジャッキーに教える。 このワザはスゴくて、油の上で滑らずに型を演じるのだ。これを応用して、寺の修業では雨上がりの水を利用して 「アメンボ」 という修業を行った(※そのままやんけー)。 これは水たまりの上で型を演じ、靴下に水がはねないように行う難度の高い修業だ。 しかし、誰一人としてマスターすることが出来ず、 「無茶苦茶だ。」 「竹中は腹筋で物を考えている!!」 などと中傷が相次ぎ、脱退者が増えた時には、さすがに私も同情した。 今でも私はジャッキー映画の9割方(少林門だけない(泣)をダビングして所有するほどで、自分でも時計塔から落ちてみたいほどのジャッキーチェンマニアだが、竹中くんとの出会いと、これまた無類のジャッキーファン。中3の時の友人山本くん(当時ジャッキー映画パンフのコンプリート達成)との出会いが大きな要因となっていることは確かだ。 コレクトする。という姿勢は、山本くんからの影響が大きい。 今でも実家の押し入れには結構な数のジャッキー映画のシングルが保管されている。 当時のシングル盤は700円。毎月根気強く買ったものだ。 ジャッキーの映画で「拳精」という作品があるのだが、テーマソングは”チャイナガール”という曲で当時レコード店には2枚のシングルが並んでいた。 同じ曲を別々の歌手が歌ったものなのだが、映画で使われたのがどっちなのかがわからなかった。 ”ダンシングヒーロー”を2人の女性歌手が歌った時は好きな方を買えば良かったが、今回は使われた方、使われなかった方と白黒がハッキリしていた。 クジ運の悪い私は案の定違う方を先に買った。今ではレアな1枚となっている。 それからジャッキーの映画をコママンガに落とした「ジャッキーチェンフィルムコミック」という本もマニア泣かせの逸品だ。 全作品コンプリートの値段は現在では数万円はくだらないと思われる。 中学の時の夏休みのすごし方は、まず”映画のサントラ”を聴き、テレビの前にラジカセを置いて録音した、吹き替えのジャッキー映画のロードショーテープを シンクロさせながらフィルムコミックを読む。 というのが当時の私の財力では最高の娯楽であった。 しかし、そのフィルムコミックのコンプリートも私が結婚して家を出た後、母がチリ紙交換に出してしまった事を知った時は、 いい歳こいて泣きそうになった。 この先、映画紹介のコーナーをやるとすれば私は迷わずジャッキーコーナーを創るだろう。 実際、撮影途中に中断して未完成だった映画を、もとの会社がソックリさんを使って完成させた非良心的な映画「クレージーモンキー大笑拳」における本物のジャッキーが出演する時間のタイムテーブルを、ストップウォッチ片手に調べたことがあるが、 「時期尚早」 「根気がいる」 という2つの理由で未だハードディスクにストックされたままだ。 ソックリさん映画といえばブルース・リーの死後、各社が相次いで製作したドラゴン映画の中には 「ブルース・ワン ブルース・ツー ブルース・リー」 というナメまくった珍品も出現した。 それからソックリさん映画ではないが原題は絶対に違うであろう 「アーメン・オーメン・カンフーメン」(ラーメンか!) や日本の心ないスタッフによって、きっと原題を変えられたサモハンキンポーの 「プロジェクトD(デブ?)」(もはやセクハラの領域だ!) など数々あるが、そういう歴史の闇に埋もれていった映画のコメントは、いずれ誰かがレビューする事であろう。 修業の思い出か、ジャッキーへの熱いエールか、新コーナーへの伏線か、やはり支離滅裂な文章になってしまった。 エッセイを書き慣れない者が書くと”いつもこうだよ” |
完
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