江戸川乱歩がデビュー作『二銭銅貨』をひっさげて
さっそうとデビューした大正十二年。
その後、日本でも創作の機運が高まり”乱歩に続け”
とばかりに様々な作家が探偵文壇に登場しました。
その中の一人に、当時検事だった浜尾四郎がいました。
江戸川乱歩に「法律的探偵小説」の書き手、と、分類
されたように実職者の立場から見た法律への深い懐疑
心や人が人を裁く事の難しさを探偵小説によって問題
提起してきました。
その本質は現代においても決して古びる事のないテー
マだと思います。
法へのクールな視点を持ち続け、ヴァンタインに触発
され、当時誰もなしえなかった本格長編探偵小説を短
い生涯の中で成し遂げたのでした。



 

浜尾四郎は男爵の家にうまれた名門の
出身です。
法律の大学を卒業後、東京地裁の検事
として勤務し、その後、辞職して弁護
士を開業しました。
そういう一流のコースを歩む反面、文
学的な面も持ち学生時代から短編小説
の習作をしていたそうです。
理論家でもあり、ロマンチストでもあ
る氏の資質は、探偵小説作家として資
格充分であった訳です。



スタートは本格であった江戸川乱歩も昭和四年の「孤島
の鬼」以降しだいに通俗小説に移っていきました。
戦前の大半が「変格」と呼ばれる怪奇幻想物でしっかり
とした骨格を持つ探偵小説は皆無に等しかったのです。
そんな風潮の中、昭和七年、都新聞に「探偵小説を中心
として」と題された当時の探偵文壇を手厳しく非難した
論文が掲載されました。
浜尾四郎のものです。
それによると、「真の探偵小説はあくまで読者の理知に
訴えて決して読者をこわがらせたり、泣かせたりするも
のではない。〜中略〜テーマは必ず理知的であらねばな
らなぬと思う。」と、あります。
この論文は何の追従者も反論も生まず文壇から黙殺され
た形になりました。しかし、戦後花開く本格黄金期を予
見した鋭い意見であり、浜尾四郎の目が確かであった証
拠だと思います。



なぜ検事でありエリートであった浜尾
四郎が探偵小説の筆を執ったか?
浜尾四郎と探偵小説を結び付けた直接
の功労者は、名探偵金田一耕助を創造
した本格の巨峰、横溝正史その人だっ
たのです。当時、江戸川乱歩も兄事し
ていた医学博士でもあり実作者でもあ
った小酒井不木が浜尾四郎の資質を見
抜き探偵雑誌「新青年」の編集長だっ
た横溝に声をかけ執筆を勧めたのでし
た。戦前と戦後の本格の両雄が出会っ
たのも運命を感じさせます。



 

 
探偵文壇中一、二を争う程の長身を誇った浜尾四郎。
しかし、体重は反比例するかのように痩せていました。
横溝正史のエッセイ集「探偵小説五十年」で浜尾四郎の
風貌について書かれています。
〜検事という職業から、もっといかめしい感じのどちら
かといえば尊大ぶったところのある人物ではないかと〜
中略〜ところがそこに出てこられたのは鶴の如き痩身を
いたって無造作な和服の着流しにつつんだ尊大とはおよ
そ正反対のいたって愛想のよい紳士で〜
と温厚な人柄を伝えています。
神経質な性格からか、不眠症に悩まされていて、医学博
士で実作者の木々高太郎も驚く程の睡眠薬を服用してい
ました。
鶴の如き痩身の命を少しづつ削りながら。



 

浜尾四郎が残した1ダース程の短編と
四本の長編(うち1本は雑誌の廃刊の
為未完)は、昭和初期の探偵小説界に
独自の光りを放ち続けています。
同時代の作家小栗虫太郎、夢野久作な
どの個性や巨人性はありませんが、手
固い造りで探偵小説プロパーを目指し
た作品を一貫して造り続けました。
浜尾四郎はトリック云々よりも、法へ
の懐疑、法への矛盾が主題でもあった
訳ですが何より探偵小説的なトリック
の事もないがしろにはしませんでした。