「クッキングパパ



 夜なのに小雨はまだ続いていた。私は愛車である銀のカプチーノをファミリーレストランの駐車場へ滑り込ませた。

「遅かったやん」

嫁は先に着いていたようで、傘をさして駐車場で待っていた。

「じゃあさっさと今月分の20万円ちょうだい」

「エエーッ。そ、そんなにも払えへんわ。俺のモンが何も買えなくなるやないか」

「アンタ何言うてるのん。裁判所で決まったやないの。往生際が悪いで」

「も、もうちょっとマケてくれや。インクのトナーも買えへんやないか」

「子供三人を女手一つで育てるのは大変なんや。アンタも観念しな」

「ヒドイわ。ひどすぎるわ。一生懸命働いた給料がそのまんまオマエにスルーかい。オマエはなんの苦労もなく20万円ゲットかい。責任者出てこい」

「それもこれもアンタがマックにのめり込んで家庭を無視した結果や。壊れかけたマックから新しいマックになって余計に部屋に閉じこもってからアンタは変わったわ。女に三度目はないで

「わー」

私は布団から飛び起きた。リアルだった。あまりにもリアルすぎる夢だった。見覚えのあるファミレスの夜の看板の光も、冷たく降る夜の雨も、本当にあった出来事のようだった。愛機キングジョー二世が不調で止まりそうだった時、優しい読者の方が使わなくなったパワーマックG4を譲ってくれた。快調になった分、マックにのめり込む時間が増えた為、後ろめたさが見せた夢だったのだろうか。

確かにOSテンの操作を習得すべく日々のめり込んでいる。私はこのクソバカデカいタワーマックをビルガモと呼んでいる。

先程見た夢のような状況になれば、この新しい恋人を維持することすら出来なくなる。正夢にしてはならぬ。今一度家族サービスに徹するのだ呉エイジ。

私は横で大口を開けて眠る嫁の顔を見ながら決心するのであった。

「パンパカパーン。子供達集合〜ぅ。なんと母の日のプレゼントにパパは晩ご飯を作ってくれることになりました」

「エエーッ!」

子供たちは全員びっくり仰天である。結婚してからこっち、インスタントラーメンくらいは自分で作ってきたが、まともな料理をすることなど一度もなくここまできてしまった。台所で包丁を持つ父親の姿など今まで見たことがなかった子供達は、全員驚きの表情を隠せなかった。

「アンタも考えたな。花を買おうと思ったらお金がかかる。だから元手いらずの料理でサービスかいな。それでもな。私、もしかしたら結婚して今日が一番嬉しい日かもしれへん。アンタもなかなかやる時はやるやないの」

私は似合わぬエプロンを着せられ、狭い県住の台所で直立のまま固まっている。子供達は「パパは本当に料理が出来るんだろうか?」という疑いの眼差しに変わっていた。

「お父さんもやる時はヤルで。マックばっかりしてるパパやないで。料理くらいその気になれば楽勝で出来るんやで」

父親の威厳を取り戻す絶好のチャンスだ。頑張って美味い料理を作って家族からの尊敬を一身に集めようではないか。味の自信はあった。年中花粉症で花が詰まっていて、定番料理でも味がバラバラな嫁の料理に勝つ自信はあった。

本棚から適当にレシピ本を抜き出して決めた料理は豚のヒレ肉を使った天ぷら料理で「豚天」という名だった(そのまんまやんっ!)。

「えーっと。なになに? パセリは素揚げにして横に添えてください。ってか。じゃあパセリから揚げようか」

私がナイロン袋からパセリを取り出し、油に入れようとした瞬間、嫁が私の肩をグイと引っ張った。

「アンタ、何さらしとんねん。もしかしてパセリをそのまんま入れるつもりやったんか。小学生でもわかるで。まず水でよく洗ったらんかい。何がついてるかわからへんやろ」

助手として横にいる長女ちゃんが不安げに私を見ていた。私はその視線を払いのけるかのように鼻歌を唄いながら水でパセリを洗うと、いちいち横からうるさいんじゃ。とでもいうような目で嫁を牽制しながらパセリを放り込んだ。

パチパチパチパチ

「キャー」

「ギャー。あ、熱いっ。熱いっ」

レンジの周りに水が飛び散った。水滴が腕や頬に飛んできて料理どころではない大パニックである。

「ワレさっきから何しとんねん。油の中に水を入れたらどないなるか知らんのか」

嫁は平然と水滴シャワーをくぐりながらガスコンロの火を止めた。水滴は腕にかかっているハズである。なのに平然とした嫁の顔。一体嫁の腕はどのような装甲をしとるのだ。

「一から十まで説明せなアカンのか。マニュアルに書いてない常識的な行動くらい、いちいち言わすな」

私は極寒の中のマッチ売りの少女のようにか弱く震えながら、再びガスコンロに火を点けた。

「楽しみにしてるからさっさとしてや。私はトイレに行ってくるから、後はしっかり頼むで」

出だしでは思いっきり躓いたが、そこからは割とスムースに流れた。横で玉子を割る長女ちゃん。豚肉を切り、手際よく油に入れていく私。やればできるではないか。美味そうではないか。もしかして私には料理の才能があるのではないか。

完成が見えてきたので気が緩んだのか、腹がグーと鳴った。なにかつまむものはないか。台所を見回すとレンジの上に小皿が一つ。中にはフジッコのお豆さんであった。ちょうどいい。これを食べよう。

奥ではザーッと「大」の流れる音。嫁がサッパリした顔で出てきた。

「なぁ、このお豆さん。納豆でも混ぜたんか? エラい粘り気があるなぁ。」

「ア、アンタ。もしかして食べたんか? それは何日か置いて片づけ忘れてたやつや。腐ってるんと違うか? 吐き出しな」

ゲーッ

なんちゅうもんを台所に放置しとるんじゃ。あの粘り気は腐っていたからなのか。急に気分が悪くなった。目まいもしてきた。動悸も激しくなってきた。気のせいではない腹も変な音で鳴りだした。お腹急降下である。私は便所に向かって前屈みになりながら歩き出した。

「ア、アンタ。もしかして「大」をしに行くんか?」

「そ、そうや。変なもん食べて調子が悪くなった。トイレ行ってくる」

嫁は変にモジモジしだした。

「ホ、ホレ。知っての通り県住の便所には換気扇がないやろ? だからさっき私、便所の窓を全開にしてきたんや。空気が完全に入れ替わるまで15分、いや、20分は立ち入り禁止や」

「な、何を言い出すんや。腹が痛いのになんで20分もトイレに入れへんのや」

嫁は乙女のように恥じらいながら身をくねらせて上目使いに話だした。

「だって、ホレ。アンタ、今トイレに入ってやなぁ。もし臭いかいで結婚生活にゲンナリしてしもうたらアカンやろ?」

もうとっくにこの生活にはゲンナリです。早くトイレに行かせてくださいっ!

「レディーに恥をかかすんか? あと20分は立ち入り禁止や」

台所でプルプルと震えながら一家の大黒柱が悶絶である。私には我が家であってもトイレに行く自由さえないのだ。この家では全て嫁の思うがままなのだ。

なんのことはない。料理されているのは私の方なのである。



これを読んでいる独身者諸君。ここはぜひ心して耳を傾けてほしい。

夫が料理をすると嫁はかなり喜ぶものだ

と、一言いっておきたい。