「ドキドキプレゼンテーション」


 

日の仕事もようやく終り、疲れた身体を引き摺って家路へと車を走らせる。

時計を見ると11時少しまえ。今日中にはなんとか眠れそうだ。

県住から300m程離れて借りた青空駐車場に愛車を停める。残業で疲れた身体には、この夜の300m徒歩というのは結構ツライものがある。便利で快適な県住のドまん前にある専用駐車場は、

アンタは健康の為に歩いた方がエエ。なっ。

という、愛情があるのか怠慢なだけなのかよくわからない理由で嫁が独占しているのだ。

近所の赤ちゃんが起きないよう足音に気をつけながら、家の重たいドアをソッと開ける。

家の中は既に暗い。子供を寝かしつける間に嫁も眠りについたのであろう。私は「メールチェック」をしてから嫁にご飯の支度を頼もうと考え、愛機の7600/G3400の起動ボタンを押した。

「ブゥーン」

ボリュームはいつも小さく設定してある。静かで心地よい起動音が部屋中に響く。倒れ込むようにして疲れた身体を「ヤマダデンキ」の特価品でゲットしたパソコンラックとセットでひっついてきたイスに深く預け、マックが立ち上がるのを待ちきれずにマウスを意味なくクリクリと動かす。

機能拡張がいつもの順番通りに並びだす。ハードディスクが「カリカリ」と忙しそうに音をたてる。

「今日はどのようなメールが届いているのだろうか…。」

最近ではメールを読むだけで精一杯で、返事が全然書けていないのが現状だが、無償のホームページ活動でも一言

「ホームページ良かったです」

みたいな意見があれば、それは充分嫁からの迫害に打ち勝てる明日への活力になるのであった。

そろそろマックも立ち上がりきるところだ。その時、私の顔は「二児の父親」から「ホームページ製作者」の顔へ颯爽と切り替わる。

一度、息を大きく吸い込み、ゆっくりとISDNの接続をしかけたその瞬間…、

嫁「ワレいつまでマックの前に座っとるんじゃ!」(怒号?!

不意にフスマを開けられた衝撃に、私はもう少しで手元に置いてあった宝物「巨乳グラビアクイーンJPEGコレクション」のフロッピーディスクをヘシ折る処であった。

呉「オ、オマエ、いつまで? って…。まだマックも立ち上がってないがな。オマエのいつまでは[二分]か?」

小さい頃ファミコンのやりすぎで、お袋に「いつまでファミコンやっとんじゃ!」と、よく怒られたもんであった。それでもいつまでの単位は[二時間]である。嫁の場合は早すぎる。日本語の使い方が根本的に間違っているようだ。ここは世間に出て恥をかかぬよう教えてやらなければならない。

聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥。

と云うではないか。しかし私は長年の夫婦生活のカンで、この指導は危険すぎる。と、直感した。

この場面で私の方から説教すれば、夫婦ゲンカの密度&時間は

二倍以上に膨れ上がることは火を見るよりも明らか

であるからだ。言いたい気持ちをグッと堪え、ここでは嫁の日本語の間違った使い方に関しては口を閉ざすことに決めた。

嫁「まったく。帰ってきた思うたら「ただいま」の一言もいわずにすぐマックや。アンタの嫁はマックか?」

呉「何云うてるねん。気持ちよく眠ってるオマエを起こすのがカワイそうやったから、先に電子メールを見て用事を全部済ませてからゴハンを食べようと思ったんや。」

嫁「アンタの帰ってきてからの用事はゴハン食べて風呂入って寝るだけや」(断定

メシ喰って風呂入って早く寝るだけが私の用事の全て…。私は一体何なのだ…。これが私の人生の全てなのか…。これを全部早く済ましたら怒られずに済むんだ…。早く済ませれば泣かずにすむんだ…。

あまりの衝撃に私の精神は幼児退行するところであった。しかしここで負けてはいけない。そんなツマラン人生は真っ平御免だ。

呉「今日の晩ゴハンは何だ?」

嫁「アンタの好きなカレーや。早くマック切ってサッサと食べて。こっちは洗いもんもあるんやから。」

呉「なら一端冷えた奴を煮込むまで時間があるな。チョットこっちに来てくれ。」

私は今まで嫁にマックの素晴らしさをちゃんと教えてやらなかったような気がする。この素晴らしさを独りじめしていたから嫁がいらぬチョッカイをかけてくるのだ。嫁を引き込んでしまえばいい。そうだ。プレゼンテーションだ。

呉「オマエはいつもいつもマックを悪く言うけどな。インターネットの一つも知らんようでは、いずれ主婦グループに置いてけぼりをくらうぞ。インターネットは好きな情報を何でも引きだせるんだ。」

嫁「な、何でも?…。」

主婦グループに「遅れをとる」という危機感が上手い具合に嫁を刺激したらしい。今晩は珍しく前向きな嫁だ。やはりツカミがよかったか? 逃げてばかりではやっぱりダメなのだ。

攻撃は最大の防御なのだ。

呉「子供も寝ていることだし、まぁ俺の後ろにでも立て。」

ここからが正念場だ。嫁が確実に気に入るようなページを見せてやらなければいけない。興味を持ちハマってしまえばこっちのもんだ。冷静に。冷静に対処するのだ。

呉「まずパソコンを電話に繋ぐんだ。これでウチのマックは世界に繋がる。」

嫁はおとなしく真剣に見ている。今がチャンスだ。何だ? 嫁の好きなものは一体何だ? 私の脳細胞は残業で疲れているのにもかかわらず自転車で立ちこぎのフル操業であった。

私と嫁の接点は…。私はマック、ファミコン、ミステリー小説好き、嫁はマックダメ、ゲーム嫌い、活字嫌い。では音楽ならどうだ? 嫁はベストテン番組でその時に上位に入る音楽を何となく聴いているだけで、CDまで買って…というほど熱心ではない。映画やレンタルビデオも進んで観るわけではない。

嫁の趣味は一体何なのだ?

このままでは嫁に気に入ってもらえる情報を引きだすことができない。なんとかしろ。こんな場面は滅多にない。

そうだ。以前、嫁と話しをしている時にアニメ番組「みなしごハッチ」の話題で盛り上がったことが一度だけあった。これだ。これでいきましょう。アニメページへレッツゴーだ。

しかし私の心の中には、もう一人の冷静な私がいた。よくよく考えてみれば、夫婦を繋ぐたった一本の絆が、

みなしごハッチの話題だけ

というのに、モノ凄い寂しさと脱力感を感じない訳ではなかったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。私はとりあえず検索エンジンへと飛んだ。

呉「ここに自分の知りたい情報のキーワードを入力すると、それに関連するページの一覧が出てくるんだ。」

私は嫁に説明しながら、素早く「みなしごハッチ」と入力してリターンキーを叩いた。嫁は「ふぅーん」と言いながら私の肩越しにモニターを覗き込んでいる。

10秒…、20秒…、30秒…。

画面は一向に変化せず、ただ虚しくネットスケープ4.5の流れる星がアニメしているだけであった。

嫁「まだなん? これいつになったらページ変るの?」

しまった。時計は11時の45分を指していた。テレホタイム真っ只中のビジー状態だ。私は素早く別の検索エンジンへとジャンプした。しかし今度はそのページすらジャンプすることができない。これではプレゼンテーションどころではない。

呉「な、なっ。インターネットは楽しいからみんな繋いでいるんだ。だから道路が渋滞するように電話も混線しているんだ。」

嫁のイライラ感が肩越しに伝わってくる。このままでは「インターネットって不便なもの」という悪い印象を与えてしまう。私の方もだんだんとイライラしてきた。

嫁「この時間帯はいっつもこんなんか?」

呉「ま、まぁこんなもんだ。」

嫁「あんたは帰ってきてから30分くらいマックやってるよな。市内一分10円、かける30分は300円のかけることの30日…。」

呉「オ、オマエ。い、一体何の計算をしてるんや??」

嫁「このクソ無駄な時間帯の電話代はアンタの小遣いから引いておきます。

私はあまりの衝撃にガックリと肩を落として食卓に向かうことしかできなかった。そしてその夜のカレーは煮込みすぎて所々にコゲが浮き、また後から水を混ぜているもんだからまともに食べれたもんではなく、これは私の大好きであるはずのカレーなどではなく、

カレーが極限にまで退化したらこうなるであろう

といったサンプルのようなカレーであった…。


フェードアウト…。

 


これを読んでいる独身者諸君。ここはぜひ心して耳を傾けてほしい。

夫婦の絆が「一つだけ」というのは心許ない

と、一言いっておきたい。