
「招かざる客」
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日曜日の昼下がり、我が家にとっては珍しく穏やかな休日である。 私は新聞を広げてアイスコーヒーを飲み、といっても新聞の政治欄みたいな小難しい面は速攻で飛ばして、週間○○や、○○現代などの「巨乳グラビアアイドル限界セクシー」といった心躍らせる見出し広告を眼球2ミリ程突出させて食い入るように見つめながら「コーヒー飲み終わったら絶対コンビニに立ち読みに行こう」と固い決意を無言でしているわけで、嫁はといえばシベリアンハスキーが住み家にすれば確実に狂い死にしそうなほどの狭いベランダで大量の洗濯物を一気に干し終わった後、一息ついて冷たい麦茶を台所で立ちながら飲んでいる。 子供達は仲良くオモチャで遊び笑い声が絶えない。平和である。現時点での我が家は「闘争」という文字からは完全に掛け離れていた。 「幸せとは何事もない平穏なことをいうのかもしれない…。」 違いのわかる男の顔付きでアイスコーヒーを飲みながら、私は哲学者のように幸せについて考えるのであった。 ピンポーン 突然玄関のチャイムが鳴る。誰だ、久しぶりに平和である我が家の雰囲気を邪魔する奴は。子供達はオモチャに夢中でチャイムの音が耳に入っていない。振り返って嫁を見ると、今まさに上を向きながら麦茶を飲み終わろうとしているところで、それでも視線は私を鋭く見据え「アンタが出たらエエ」という表情だ。 なにかの訪問販売か? 縁のない一戸建ての宣伝か? それとも宗教の勧誘か? 閻魔のような嫁の下に仕える私にとっては神などない。 ノロノロと玄関に向かって重たい県住のドアをあける。 呉「どちらさまですか?」 扉の先に立つ者は…。私は暑さで頭が変になったのか。それとも過去にタイムスリップしてしまったのか。昔テレビで観たロンパールームなどの子供番組でお兄さんが着ていた衣装。シマシマのカラフルな縦縞の帽子に、大人が着れば絶対にオカシイ黄色がベースのド派手なTシャツ。若作りしても限界がある、かなり恥ずかしいサスペンダー付きズボン。 呉「(一体何者だ? コイツ…。)」 状況が把握できずにその場で固まっていると、その男は私の目を見ずに斜め上を見ながらいきなり大声を発した。 客「お父さん、こんにちはーっ。」 この男は声を眉間のあいだから発しているのか? 通常よりも一オクターブ高いトーンである。目を合わせないで発する大声の挨拶も不気味なものがある。なにがどうなっているのだ。変質者か? この場で刺されて死んでしまい、この連載も最終回を迎えてしまうのか。 玄関先での奇声に家族全員私の元へ集合する。嫁も客の服装を見てかなり面食らっている様子だ。 客「本日は今からお子様の教育には欠かせない、英語の無料体験レッスンの御案内でお邪魔しています。」 嫁「無料?」 タダというキーワードに嫁が素早く反応する。声に出すな。恥ずかしい。 客「よろしかったら今、一時間の無料体験入学ができるのですが、いえなに、ちょっとだけ上がらせてもらって楽しくて簡単なレッスンです。お時間がありましたらどうでしょう。」 子供達は珍妙な格好の客を見ながら大はしゃぎである。耳元で長女も長男も「やりたい。やりたい。」と騒がしい。私が難しい顔で客を見ていると、私が仕切る前に嫁は 嫁「タダですね。タダなんですね。どうぞお上がりください。」 と、しつこく念を押した後、さっさと男を部屋に上げてしまった。 ハンカチで汗を拭きながら男は部屋の真ん中に腰掛ける。「スキーザックですか?」と問い掛けてみたくなるような、パンパンに膨れ上がったカバンを自分の横に置く。一体中に何が詰まっているのか。 客「さて、お父さんお母さん。今の日本の教育は丸暗記で詰め込むだけの味気ない勉強です。でも私たちは提案します。楽しみながら学習する。頭で覚えるのではなく身体で覚える英語を。」 男は視線を宙に彷徨わせながら熱く語りだした。まるで何かに取り憑かれているようである。このような格好までして丸暗記した挨拶文句を話す貴方もどうかと思うのだが…。 子供達を見ると瞳を爛々と輝かせて興味津々であり、既にお兄さんにかぶりつきであった。。完全に男の術中にはまってしまっている。 客「じゃあ始めるよ〜。何がでてくるかなぁ〜。」 男は膨れ上がったカバンからリンゴのオモチャを取りだした。 客「お嬢ちゃん。これは英語でなにかなぁ〜?」 娘「アッポー?」 客「イエー! アッポー! ナイス! ナイース!」 非常識も極まりない甲高い大声である。近所迷惑にも程がある。もうちょっと静かにできないか、と私が言おうとするタイミングを与える間も無く、男は無料体験レッスンをお構いなしに続けた。 客「ヘーイ! ガール! タッチ・ザ・ハーンド」 男が手の平を出す。それに喜びながらタッチする娘。お兄さんの周りをグルグルまわって大喜びである。 客「それじゃあ坊ちゃん。これは英語でなにかなぁ〜?」 男は続いてカバンの中から手垢にまみれた犬のオモチャを取りだした。 長男「どーっぐ。」 客「ナーイス! ボーイ! タッチ・ザ・ハーンド」 我が家の狭い部屋の中は完全に宴会大会と化した。夫婦で圧倒され続け、場の主導権は完全に男が握っていた。 客「それではお父さん。これは何かなぁ〜?」 男は私まで巻き込もうというのか。カバンからはキリンのオモチャが取りだされた。私も英語で答えろというのか。そして英語で答えてタッチ・ザ・ハーンドをしろというのか。ばからしい。で、キリンか…。英語でキリンはキリンじゃないのか? 他にあるのか? 呉「キィリーン」(英語訛りっぽく) 客「……。」(無言) 男は小一時間ほど汗まみれになりながら無料体験レッスンをした後、おもむろに我々夫婦の前に座り直して一枚の書類を出した。 客「さて、お父さんお母さん。こんなに喜びながら勉強するお子さんの姿を今まで見たことがありますか? 喜びながら学ぶ。自主的に学ぶ。これが大切なんです。そこで御案内です。今、半額キャンペーンをやっていまして、一年間の教室レッスン費用、英語のCD教材、本のセット。教室で使う英語のおもちゃ、カード類のセットが、この一週間だけ30万円で御提供させてもらっています。どうぞ目を輝かせる子供さんたちを応援してあげてくださーい。ここに印鑑をどうぞーっ。」 最後になるほどキーが高くなる男の甲高い声。応援してくださーい。ここに印鑑をどうぞー。って子供達の応援は親だから当然するが応援するのに30万円は高すぎる。気安く出せる額ではない。そんなことをすれば新しいマック資金はおろか、プリンターのトナーを買うにも家計が苦しくなってしまうではないか。冗談もいいかげんにしろ。同調を求め、怒りながら嫁を見る。 嫁「一週間だけ半額…。」 何を血迷うのだ嫁。まさか入会する気じゃあるまいな。 嫁「幼稚園の奥さんに聞いたんや。英語の教材買ったらしいけど40万円したらしいわ。確かに安い。」 呉「アホ言うな。ホンマにそんなにするんか? 30万円やぞオマエ。」 嫁「アンタは世間のことなんにも知らんのや。今の子供の習い事は英語・ピアノ・水泳は絶対なんや。絶対にみんなやってるんや。」 呉「オ、オマエ話が大げさすぎるぞ。幼稚園に通っている子供全部が全員習い事3つもしてるんか? そんなアホな話あるかいな。」 客「さぁーここに印鑑をどうぞーっ。応援してあげてくださーい。」 呉「オマエ、声うるさい。」(怒号) 嫁は情けなさに今にも泣きそうな表情だ。 嫁「ウチはアンタがマックにお金ばっかり使うせいで、子供に習い事もさせてあげられへんのや。アンタがマックに溺れるせいで子供はどんどん落ちこぼれていくんや。英語も理解できない大人になっていくんや。アンタは考えてるんか? 子供の教育を真剣に考えてるんか? 何も考えてへんのと違うか?」 怒って立ち上がり嫁を見下ろしていた私の頭の中は、その時悔しいかな嫁が指摘する通り、はて、「巨乳グラビアアイドル限界セクシー」が載っている雑誌名は何であったか。ということなのであった…。 |
これを読んでいる独身者諸君。ここはぜひ心して耳を傾けてほしい。
「習い事で確実に夫の小遣いは減らされる」
と、一言いっておきたい。
完