「何度目かの記念日」



第一章「夜明け」

 激しい尿意で目を覚ました。時計を見るとまだ朝の5時半だ。今日は10月の9日かぁ。一体何の日であったか。何か大事な日であったような気がする。夢うつつの中ボンヤリと考える。終戦記念日? いや、違う。文化の日? これも違う。うっ、そうであった。今日は結婚記念日であった。私が奴隷と化した記念すべき日であった。半分夢の中の思考状況のバックでは「ドナドナ」がBGMとして激しく鳴り響く。

トイレに行こうか、それとも我慢して眠ってしまおうか。寝返りをうった時、左手の薬指に目が行く。恨めしそうに輝く結婚指輪がそこにはあった。これは別に「ラブラブ夫婦」だから嵌め続けている訳ではない。ただ単に指がむくんで抜けなくなっただけの話だ。

嫁の魔力が宿っているのだろうか。引っ張ろうがねじろうが指輪は抜ける素振りさえ見せない。それは孫悟空が悪さをしたら頭にある金の輪っかが締まる「緊箍経(きんこきょう)」と同じようなものだ。三蔵法師に逆らうことは許されないのだ。指を切断して指輪を抜く以外に方法はないのだ。

薄暗い部屋を見渡すと、隣では布団の大部分を占拠する嫁の巨体があった。吸い込まれそうな大口を開けて眠っている。日本むかし話の怪談特集のような「絵」だ

私は寝ながらにしても嫁を起こさないように、脅えながら部屋の端の方で小さくなって寝ていたらしい。朝の5時半、私の枕に激しく涙がつたう。寝ぼけた思考の中では今日が何度目の結婚記念日なのか思いだせるはずもなかった。

第二章「結婚式終了」

呉「無事終わった〜。感動したね。結婚式。」

私は車のシートに倒れ込むようにして乗り込んだ。式場から見送られたタクシーはハワイ行きの飛行機の乗るために一路関西空港を目指していた。嫁の目も泣きすぎで赤く腫れている。

嫁「うん。みんなの唄やスピーチも感動した。パパ。これからもよろしくね。いっぱい幸せになろうね。」

しおらしく嫁が私の肩に寄り添ってくる。タクシーの後部座席は完全に二人だけのバラ色世界であった。

呉「ハワイでは一週間のんびり過ごそう。それからさぁ、日本に帰ったらさぁ、自分のマックが欲しいんだぁ。」

嫁「えっ? 確かそれコンピューターだよね。買うの?」

呉「うん。今からはマックを使って二人の記念をプリントアウトして飾ったり、子供ができたら子供の成長記録をマックで加工して記念にしていくねん。子供は2〜3年作らずに二人の時間をたっぷり作ろう。ねっ、いいだろう?」

嫁「も〜う。仕方がないなぁ。じゃあ、子供のアルバム作りはパパが担当ね。」

浮かれまくった今の二人には、これから先に待ち受けている激動の人生など予想できるはずもなかった。

第三章「一年目」

予約されたステーキレストラン。静かに向かい合う二人。ナイフとフォークの音が店内に響く。

嫁「はぁ〜。まぁとりあえずは結婚一年目おめでとう。長女ちゃんをお義母さんに預けてるからノンビリと食べてるヒマはないで。さぁてパパさん、この一年を振り返ってみてどうでしたか?」

視線を合わせずキツイ台詞を口にする嫁に圧倒されている私は、咄嗟に返事が思い浮かばなかった。

呉「ど、どうって。いい一年だったと思うけどなぁ。」

嫁「フンッ。アンタ言うたよなぁ。子供は2〜3年作らずにたっぷり二人の時間を作ろうって。それがなによ。速攻でハネムーンベイビーになってしもうて。貯金なくて結婚して、その2〜3年で養育費貯めようと思ってたのに計画無茶苦茶やないの。」

呉「そ、そんなもん今更言うてどないするんじゃ。元気な子が授かって結果的に良かったやないか。」

嫁「まぁそれはエエは。問題はアンタの父親としての態度じゃ。私が子守りしてるっちゅうのに家計で買ったマックに熱中ばっかりしてからに。私ホンマ後悔やわ。マック買ったの大失敗やわ。」

深刻な話にもかかわらず嫁は話す間、絶妙なタイミングで素早くステーキを口に運ぶ。嫁は昨年より確実に太っている。

呉「だからそれはこれからの家族アルバムを作るための勉強の期間なんじゃ。勉強せんとマックは動かへんのじゃ。」

嫁「エラそうな事言うてるけど、アンタ今まで一回でも家族のことでマック使ったか? インターネットばっかりして。家族アルバムプリントするのに一年も勉強せなアカンもんなんか?」

んがぐぐっ。ステーキと返事が同時にノドに詰まる。結婚当時はあんなに優しかった嫁。最近の言動はまるで尖ったナイフのようであった。

第四章「五年目」

夕方の七時半。飲食店の混みあう時間だ。案の定、レジ前の待ちあいソファーは人で埋まっていた。五年目の記念日。中華料理の「王将」である。毎年店のグレードが庶民的になっているのは気のせいではない。嫁は一人柱に寄りかかると一言。

嫁「アンタ、ボケーッと立っとらんと、早く順番待ち名簿に名前書きに行きいな。

条件反射的に名簿に向かった後で、嫁の暴言に気が付き腹が立ってくる。こういう記念日では、このような細かい仕事は嫁がするものではないのか。

嫁「ほれ、アンタがトロトロしてるから、店入ってオバちゃん二人に抜かれたで。」

一生懸命やっても報われることの無い、生きていることが地獄のような救いのない生活。やってもやらなくても結局は怒られる無限地獄。入口付近で立ち尽くしている私に容赦なく新しい客が後ろからタックルしてきた。店内でよろめく私。他人のように目をそらす嫁。思わず私は「王将」で泣きそうになった。

いつからこんな風になってしまったのか。これは本当に結婚記念日なのか。

店員「呉様ぁ〜。お二人でしたらカウンター席が空いてございます。よろしいですか?」

神聖なる結婚記念日はカウンターで行われることとなった。

嫁「はぁ〜。とりあえず別離れんと迎えた5年目に乾杯。」

嫁はいつの間にか一人だけビールを注文していた。私が飲めない事を知っているのでコップは一つである。私は水の入ったコップで乾杯する。

嫁「まぁ、いつ別れてもオカシクない5年やったけどな。アンタがマックにあれだけお金をかけへんかったら、今ごろ1BOXカーや、家の頭金に充分なってたと思うわ。ホンマやってられん。」

嫁は人間バキュームカーのような勢いでビールを一気に飲み干す。五年目ともなると嫁はビールも手酌である。

嫁「アンタは何かあるたびに、子供の為にデジカメや、デジタルビデオや、高画質プリンターに買い替えやとか言うてきたけど、何一つ記念的なもんはいくら待っても出てこんなぁ。」

周りはこれが結婚記念日とは絶対に思わないだろう。カウンターに横並びで嫁は手酌である。女上司に説教をされている部下としか見えない。

嫁「子供3人も作るとは思ってなかったわ。3人も抱きかかえてきたもんやから、見てみ。この二の腕。」

嫁の二の腕はラリアートをかませば強力な破壊力を生むことは間違いない、プリマハムも真っ青な見事な剛腕に成長していた。肘を付いてマイペースでビールを飲み続ける嫁。気が付けば私は丸イスに背筋を伸ばして座っていた。かなり痛々しい図だ。

呉「でもみんな元気やないか。それが一番やないか。なっ。」

嫁「それは私が家計を始末して始末して努力してる結果やろう。私でなかったらアンタのマック道楽でとっくに破滅しとるわ。よう私も我慢してるわ。子供おれへんかったらとっくに…。」

恐ろしい台詞は酔った嫁のシャックリでかき消されてしまった。先程から気になるのは店員が持ってくる「天津飯大盛り」や「焼き豚ラーメン」を全て私の方に持ってくることだ。それは全部嫁のオーダーなのだ。この量なら男性の注文に違いない。と店員も私の方に置こうとするのだが、全部嫁の注文なのだ。嫁は五年前に比べて確実に太っていた。丸イスのイス部分は嫁の肉で完全に覆い隠され、支え棒しか見えなかった。後ろから見ている人は「お尻から棒が出ている人」と思うに違いない。と、熱気溢れる店内で私はボンヤリと考えていた…。

第五章「現在」

嫁「あっ、そういえば今日、結婚記念日やな。アンタ仕事やろ? 外食にも行けへんから、結婚記念日は靴でも買っといてな。」

嫁は新聞を持って私より先にトイレに入った。なんで結婚記念日でオマエに靴やねん。なんでオマエにだけプレゼントやねん。私に記念品はないのか? 記念品を要求してもいいものなのか? 新しいマックを提案してもエエ日なんか? いや、そんなことを言おうものなら嫁はきっと…。

私の静かな嗚咽は嫁の流したトイレの音で見事かき消されてしまった。



これを読んでいる独身者諸君。ここはぜひ心して耳を傾けてほしい。

結婚記念日とは年々意味も形も変わっていくものだ

と、一言いっておきたい。