「母襲来



 思い出のたくさん詰まった実家が遂にリフォームすることになった。中学一年の時に借家から引っ越した「今年築30年」の家である。

そのことをお袋から電話で聞かされた時、一抹の寂しさが私を襲った。あぁ、あの実家も、とうとう取り壊しかぁ。ベッドの下や机の引き出しの奥では甘い。と判断し、壁に掛けてあった卒業証書の額の裏によく隠したエロ本。天井に貼り付け、寝る前に「オヤスミ」と毎晩語りかけた、当時のアイドル「ウインク」のポスター。

月を観測する。と宣言し、無理矢理天体望遠鏡を買ってもらったのだが、熱中したのは最初だけで、いつしか本来の使用方法を大きく逸脱した使い方をしてしまった(神よ!時効だ!許したまへ)懐かしい二階の窓と、今は「良いお母さん」になったと聞く近所の奇麗なスレンダーお姉さん。

「なにもかもが懐かしい…」

県住の外では大嫌いなセミが[私は昆虫嫌いなのだ]猛暑の中で鳴き続けている。私は狭い台所で冷えたムギ茶を飲みながら、感慨深く宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長のセリフを渋く決めてみせるのだった。

「なんでこうも毎日暑っついねん。アンタの腹の脂肪を見てたら暑さも余計に増す。っちゅうねん。」

嫁は暑さでオカシクなったのか? 常識の通用しない訳のわからぬ私への文句を呟きながら部屋を片付けている。人に絡む前にクーラーをつけたらよいではないか。しかし嫁は電気代節約のために決してクーラーをつけないのであった。であるからして我が家では極限の暑さがくるまでひたすら扇風機だけなのだ。今日も扇風機の風で、私のアロハ風トランクスが暑苦しくヒラヒラと揺れていた。

コンクリート造りの「プチ温室」とも言える県住の静寂を、一本の電話のベルの音が遮る。

お袋が今からこっちに来るというのだ。荷物がたくさんあるからクラクションを鳴らしたら下まで取りに降りてきてくれ。という注文付きだ。急に何の用事なのだ。お袋は一体何を持ってくるのか。

「よっこらしょ」

狭い県住に運び込まれたダンボールのミカン箱は六個である。

「お義母さん。このダンボールは一体なんですか?」

嫁が汗を拭きながらお袋に尋ねる。

「この前も言ったと思うけど、今度家をリフォームするやん。それでエイジの押し入れや物置に入れっぱなしになった荷物を、この際返した方がエエかと思ってな。わざわざ整理して持ってきてあげたんや。」

涼しい顔をして自分が有利なように淡々と事を運ぶお袋。要するに仮引っ越しの時に邪魔になるからこっちへ押し付けに来ただけのことである。嫁は血走った眼球を飛び出させてダンボールを凝視している。

「こんなもん狭い県住の一体どこに置くねん」とお袋に向って叫びたいに違いない。耐えろ。嫁。耐えてくれ。鬼嫁地獄の上にややこしい嫁姑問題など私の精神が先に崩壊する。世界大戦は絶対に勃発させてはならぬのだ。理性で耐えろ。

「お、お義母さん。返すって言っても荷物は結婚して県住に来た時に全部持って来たんだし、この古い荷物はやっぱり実家の押し入れに置いて貰えれば助かるんですけど。」

「イヤ、ウチに置いているより[嫁]ちゃんが使ってくれた方が、これらも活きてくるわ。これなんか見てみ?」

お袋がダンボールから取りだしたのは私が小学生の時に使っていた水中メガネとシュノーケルだ。所々白いのが見えるのは、もしかしてカビですかっ。

「もうこれで子供達に新しいのを買わなくても済んだでしょ。拭けばまだ充分使えるし。それにこれなんかも見てみ?」

お袋が別の箱から取りだしたのは、三本のうち外側の一本がビローンとなってしまっているエキスパンダーであった。嫁は首を伸ばして斜めにし、身体を小刻みに震わせながらじっと古い品々を見つめている。「なんちゅうもんを持ってきさらすんじゃ」と言いたいに違いない。叫ぶな。頼むから耐えてくれ。嫁よ。

「お、お義母さん? そ、そのエキスパンダー、壊れてるじゃないですか。粗大ゴミに出しておいてくださいよ。」

「なに言うてるのっ。[嫁]ちゃん。まだ充分使えるがな。子供達が年ごろになったら、絶対にトレーニングしたがるもんなんや。新品で買ったら5、6千円はするんやろ? ここに置いた方が絶対にエエ。家計も助かるやろ?」

嫁は怒りに打ち震えていた。そしてそれをお袋に悟られぬよう必死で耐えていた。後ろから正座している嫁の足に目をやると、足の指がジャンケンのグーになっていた。

「それからこれはエイジの古いレコードや。」

箱から出て来たのは、当時私が小遣いの全てを注ぎ込んでいたジャッキーチェンのシングル盤であった。まだこんなものを取っておいてくれたのか。「笑拳のテーマ」「蛇鶴八拳のテーマ」その数20数枚。私は懐かしさのあまり号泣するところであった。

こんな私でもニッカポッカにサスペンダーをしたクチだ。中学時代はジャッキーファッションで姫路のみゆき通りを闊歩したものだった。恥知らずもいいところである。三人組の一人の太った○○君は、きっと通行人から「あっ、サモハン」とか思われてたんだろうなぁ。と当時を思いだしてしまった。

「アナタ。これは絶対に粗大ゴミで捨てるからなっ。」

「な、何を言いだすんじゃ。こんな貴重なモン。中古屋に行っても全部は揃わへんぞ。絶対に捨てへんからな。」

ただでさえ物を置くスペースのない県住。実際にもし全部を引き取ることになったら私のタンス部屋に山積みするしか方法はなさそうだ。しかし捨てるにはあまりに忍びない。貴重な逸品ばかりである。

「それからこれも押し入れよりここに置く方がスジや。」

お袋が新しい箱から取りだしたのは、結納の時に使った巨大で奇麗な細工の鶴であった。

嫁を見ると、こめかみには何本もの血管が浮かび上がっていた。口元は何かを言いたそうにムニュムニュ動いている。叫ぶな。嫁よ。耐えてくれ。

それにしてもこんな鶴の細工、一体部屋のどこに置けというのだ。マックのモニターの上にでも置いて羽ばたかせろとでもいうのか

嫁の熱気が空気を伝ってこっちまで漂ってくる。その顔は今にも

ガラクタばっかり持ってきやがりやがって。こっちに押し付けんとそっちで始末してこんかい!

と、お袋に飛びかかっていきそうな気迫であった。

それに対してお袋は巧妙に視線をそらし、涼しい顔をして折畳み扇子で顔を扇いでいる。

「まぁ私がいつまでもここにおったら[嫁]ちゃんも片付けができひんやろ? 掃除の邪魔にもなるしお母さんそろそろおいとまするわな。」

無表情で人との争いを避けてきたお袋の前に、嫁は為す術がなかった。残されたのは「お宝」もあれば「これ、どう見てもゴミやん!」というダンボールの山だけであった。今の嫁ならば、壊れかけたエキスパンダーを、きっと引きちぎれるだろう。

嫁は私をこの世のものとは思えぬ恐ろしい視線で睨みつけていた。「いちいち話をせんでもワレわかっとるな」と目で訴えていた。私には究極の選択だけが残された。

1.思わず出てきたお宝を残念だが全部粗大ゴミに出す。

2.800本の古いファミコンソフトが入った押し入れのダンボールを捨て、入れ替える。

3.マックのラックごと捨ててダンボールを置くスペースを確保する。

読者の皆しゃん。私はどうすればいいのですかっ。生き地獄ですっ。どれも無理です。選べましぇん。

私は蒸し暑い県住の中で、いつまでも答えを見つけることができずモジモジし続けるのであった。

 

これを読んでいる独身者諸君。ここはぜひ心して耳を傾けてほしい。

今回は食い止めたが嫁姑問題はきっと恐ろしい

と、一言いっておきたい。